「大甕(おおみか)神社」 (続き)
ご本殿が見えてきました。「鎖場」を越えてもこの通りの岩道です。
ご本殿に近寄ると「大甕神社」の名前が見えます。
甕星香々背男(みかぼしかがせお)を封じ込めた
「武葉槌命(たけはつちのみこと)」を祭っています。
「大甕神社」の名前に 封じ込められた甕星香香背男の「甕(みか)」の文字があるため、ちょっと混乱するのは私だけでしょうか?
登った道を振り返ると「マジで岩山・・」と思います。
(^^;)
深い木々で覆われているこの岩山全体が
カンブリア紀(約5億年前)の地層なのだそうです!
大甕神社、「なんかすごい」をたたみかけてきます。
反対側から岩山を降りていくとまた小さなお社が。
こちらが「甕星香香背男」が祀られている甕星(みかぼし)神社になります。
お名前そのものが掲げられています。
もしかして 封じ込められた「荒ぶる神」の方が好かれているのでしょうか?
近づいてお名前をよく見ると星の字に☆マークがかぶさってデザインされています!
なんとモダンな!
もう絶対 甕星香香背男(みかぼしかがせお)の方が愛されてるでしょう!
☆ ☆ ☆ ☆
大甕神社は国道6号線を車で走っていくと、文字通り6号線上にあります。
「もともとは一つの山だったのを国道を通すためにダイナマイトで壊して道を作ったんですって。」 というのは代表のお母様のお話。神主さんとお話する機会があってお聞きしたそうです。
たしかに右側の山にも祖霊殿や古宮跡(元禄8年まではここに大甕神社の本社があった)があり、左右で1つの境内だったことがわかります。
でも、
そんなことをしたら岩山に封じ込めた「荒ぶる神」が・・・。
☆ ☆ ☆ ☆
神話というのはその時代の統治者の視点で作られるものです。古事記、日本書紀は特にそうです。
当時このあたりにいた「中央に従わないまつろわぬ民」の象徴が『甕星(みかぼし)』で、中央に平定されてからも密かに民は地元神の「甕星香香背男(みかぼしかがせお)」を信仰し続けたのでしょう。
この地を平定した「武葉槌命(たけはつちのみこと)」の文字は神社の名前に残っていません。平定したというよりは、星の民に「甕星(みかぼし)」への信仰を許して上手に治めたのかもしれません。
そう考えれば ダイナマイトの話も不敬なことではありますが「甕星香香背男が解き放たれるのは望むところ」ということもできます。
ネットで大甕神社の御朱印を拝見したのですが、地元神の甕星香香背男の名前は珍しく金色で書かれています。これは光り輝く星の神であることを表してるんですよね。地元神への愛と誇りを感じます。
「星の神」やはり愛されてます!
と、最後は暴走(妄想)した外部スタッフでした。
「鎖場」は面白いのでぜひ見ていただきたいですが、無理に登らなくてもふもとの拝殿や☆のマークの甕星神社でお参りできます。
いま「甕星」の力は解き放たれてますから、まさに「パワースポット!」です。
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